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テーラーホブソン史

クックレンズの誕生

テーラーホブソンの歴史は1886年、企業家ウィリアム・テーラーがイギリスのレスターで彼の弟と共にレンズ製造会社を興したところから始まります。
1893年、クック&サンのデニス・テイラーがトリプレットレンズを設計し、その製造依頼をテーラー・テーラー&ホブソン(当時の社名。以降テーラーホブソンと表記)へ持ち込みました。当時からテーラーホブソンのレンズ製造技術は定評があり、創業者のウィリアム・テーラーは「模倣品の製造は時間の無駄。」という哲学の元、世界最高品質のレンズを製造していました。クックが設計したトリプレットレンズはザイデルの5収差(球面収差、コマ収差、非点収差、象面湾曲、歪曲収差)を完璧ではないにしても一通り補正可能で、かつ凸、凹、凸のレンズを組み合わせた単純な構造であり、当時としては画期的な技術でした。そのレンズをテーラーホブソンの高度な技術で生産することになり、ついに1894年、テーラーホブソンから、このカメラ用レンズ「クックレンズ」の第1号が出荷されました。この後、クックレンズはシリーズ5までリリースされ、1895年には英国のRoyal Photographic Society awardも受賞しています。

ゴルフボールの革命

1905年、既にレンズ製造事業でビジネスマンとして成功していたウィリアム・テーラーは多忙を極め、何かリラックスできる趣味を持たねばならないと感じるようになっていました。彼の主治医はウィリアム・テーラーにゴルフをするよう勧めていました。しかし、根っからの発明家であるウィリアム・テーラーは、ゴルフでさえ事業と同じ熱意をもって取り組んでしまったのです。 この当時のゴルフボールは、まだ滑らかな表面をしていました。当時のプロゴルファー達は新品のボールよりも、ある程度使用した後のキズついたボールの方が、飛距離が出る事を掴んでいたため、あらゆる種類の不規則なパターンを付けたボールが作られていました。これがウィリアム・テーラーにはひどく場当たり的で、無計画に感じられ、彼の研究心に火を付けました。ウィリアム・テーラーは様々なパターンを試し、どんな表面形状が最も飛距離を伸ばすことができるか研究を始めたのです。 科学的に空気の流れを実験する為、ガラス製のスモークチャンバーを考案し、ボールの周囲にできる煙の渦を日々観察しつづけました。
研究によりウィリアムは、当時存在していたどのパターンも理想的ではないことを究明し、ボール全体に等間隔で同じ窪みのパターンを配置する事を思いついたのです。(一説には彼の妻から助言があったとも言われています。)これが後に「ディンプルボール」として世に出る事になります。

しかし、彼はディンプルを設計するだけは満足しませんでした。ディンプル用の金型を製造する加工機まで自ら製造し、その加工方法で特許まで取得してしまったのです。さらに、ボールの飛距離を正確に測る為、ゴルフクラブを同条件で何度も振れるよう、自動ドライビングマシーンまで自ら作り、このマシーンを使って何百、何千というゴルフボールの飛距離を確かめていたのです。

現在あなたが275ヤードのドライバーショットを打てるのもウィリアム・テーラーと深く関係しているのです。

Aviarレンズの登場

第一次世界大戦が開始されると空中偵察、航空写真撮影用レンズの需要が急激に増加しました。当時、それらに使用される高性能レンズは敵国ドイツで生産されており、民間から英国政府がドイツ製レンズを購入する事で賄われていました。しかし天才的なテーラーホブソン設計者アーサー・ワーミッシャムが新たなクックレンズ、Aviarレンズ(英国特許No.113590)の設計に成功し、そのレンズは外国製レンズを凌ぐ性能であると認められました。 当時の王立写真協会の会長John H Gear(ジョン・ギアー)が1916年にAviarレンズの性能比較テストを実施した時のエピソードが残っています。その当時最高品質と言われていたツァイスのレンズと同条件で比較テストを行い、その結果がツァイスにまったく引けをとらなかった事に衝撃をうけ、さらに、それが英国製のレンズであると後で分かり驚嘆したそうです。「イギリス製レンズはドイツ製より劣る。」と言われ続けてきた汚名をテーラーホブソンが晴らした瞬間でした。
Aviarレンズの技術は1924年に一般のカメラ用レンズに応用され、プロ、アマを問わず、最も人気の高いハイグレードアナスチグマチックレンズとして1962年まで愛用されました。

歴史的探検にも

高性能レンズとしてその地位を確立していたテーラーホブソンのクックレンズはその性能の高さ故に、歴史的探検の記録にも多く採用されてきました。1928年、5月28日発行の"the British Journal of Photography"には、アムンゼンの北極探検にBell&Howell(ベル・ハウウェル)製のカメラとテーラーホブソンのクックレンズがその探検の撮影に使われたという記録が残っています。その他にもエドムンド・ヒラリーがエベレストに初登頂した際の公式記録撮影にもテーラーホブソンのクックレンズが使用されています。

ハリウッド席巻!スピードパンクロ

1930年クックレンズの名器、Speed Panchro(スピードパンクロ)が登場し、瞬く間にレンズ市場を席巻します。1935年、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)スタジオの撮影ディレクターがこんなコメントを残しています。「我々の撮影する映画は全てテーラーホブソンのクックレンズを使用している。そのうち半分がクックスピードパンクロによって撮影されているんだ。」

彼の言葉が示すように、当時MGM、パラマウント、ワーナーブラザーズは全ての撮影にテーラーホブソンのスピードパンクロ・クックレンズを使用していました。その他にも、コロンビア、ユナイテッドアーティスツ、ユニバーサルなども挙ってスピードパンクロ・クックレンズを使うようになりました。
また、1937年7月26日のLife誌の中でこんな記事があります。イーストマンコダックのジョージ・イーストマンはウィリアム・テーラーに向かって「アメリカで使用されるフィルムの90%以上がレスター製のレンズの後ろを通っている。」とコメントしたと書かれています。

2つの歴史的測定機の誕生

ウィリアム・テーラーは「測定できない製品はつくれない。」と述べたと言われています。当時から既に品質管理を重んじていたテーラーの哲学が凝縮された言葉です。彼の品質に対するこだわりは、製品検査装置にも妥協を許しませんでした。
1941年、テーラーホブソンの開発者であったリーズン博士によって世界初の触針式表面粗さ測定機「タリサーフ1」と中心線平均粗さ(CLA)が誕生しました。このCLAが現在世界中で使用されている粗さのパラメータ「Ra」となったのです。粗さが歴史上初めて数値として表現された瞬間でした。その後タリサーフとRaは世界中の加工現場において表面粗さを管理する基準となり、現在でも最も一般的な粗さのパラメータとしてあらゆる産業で使用されています。

タリサーフ1の誕生から、わずか8年後の1949年、今度は世界初の回転触針式真円度測定機「タリロンド1」を発表します。当初、この装置は1台しか製造されず、測定を希望する顧客がテーラーホブソンの工場があるレスターまでワークを持ち込み、測定の順番待ちをしていたそうです。しかし多数の顧客の要望に応える為、1954年量産に踏み切る事となったのです。
偉大な発明家であったリーズン博士の愛弟子、ホワイトハウス博士はその後1966年にタリサーフを発展させた、微小段差計測定機「タリステップ」を発表しています。微細な段差を測定する事が可能で、その分解能はなんと0.5nmに達していました。日本が新三種の神器「カラーテレビ(color television)、カー(car)、クーラー(cooler)」を追いかけていた頃、既に「ナノ」の領域に足を踏み入れていたのですから驚きです。

ランク・テーラーホブソンの誕生

当時ユニバーサルピクチャーズを有していたRank Organization(ランク社)は高度な映画製作技術を有する会社を次々と傘下に収め、コングロマリット(複合企業体)を形成していました。ランク社は1946年テーラーホブソンの圧倒的なシェアとクオリティを持つレンズに目をつけ、傘下に収めたのです。ここにランク・テーラーホブソンが誕生しました。

名機、タリロンド73

1973年テーラーホブソンが新しい真円度測定機を発表しました。これが今日でも世界最高峰の精度を誇る歴史的名機「タリロンド73」です。現在主流のテーブル回転式ではなく、検出器側回転型で、40年も前の真円度測定機ですが、その驚異的精度から現在でも各国の検定機関で稼動しており、そのうちの1台が日本の独立行政法人産業総合研究所(AIST)に設備されており、日本の真円度のマスター機として今でも現役で活躍しています。あなたが今使っている真円度測定機も校正根拠をトレースしていけばタリロンドに繋がっているかもしれません。

クックレンズ、頂点を極める

1900年代、全世界の映画撮影所で使用される80%以上のレンズシェアを誇っていたテーラーホブソンはついに最高の栄誉を手にします。1988年、クックレンズのデザイナーであったゴードン・H・クックはこの年、アカデミー賞の一部門であるGordon E. Sawyer Award(ゴードン・ソイヤー賞)を受賞しています。アカデミー賞はアメリカ国内で映画産業に功績のあった人物に贈られる賞なので、それまで全てアメリカ人が受賞していました。ゴードン・H・クックは外国人としては初のアカデミー賞受賞者となったのです。

フラッグシップモデル

レンズだけでなく、測定機の分野でもテーラーホブソンの快進撃は止まりませんでした。1984年、表面測定機に新たな革命が起こります。それまでは粗さしか測定できなかった装置でしたが、同時に形状を測定する事ができる新型タリサーフが登場します。これがテーラーホブソンのフラッグシップモデル「フォームタリサーフ」です。フォームタリサーフは1995年、新開発のPGI(Phase Grating Interferometer)ゲージを得て、更なる進化を遂げます。粗さ測定機で一般的に使用されるインダクティブ(作動トランス式)ゲージは測定範囲と分解能がトレードオフの関係にあり、測定範囲を大きく確保すると分解能が落ち、分解能を上げると測定範囲が狭まるという特徴があります。しかしこのPGIゲージは12.5mmという大きなレンジを持ちながら、12nmという高分解能(現在は0.2nmまで到達している)を併せ持つ革新的なゲージとなりました。現在でもこれほど大きな測定レンジと分解能を両立できる触針式粗さ測定機は他にありません。

ハードウェアだけでなく、測定アルゴリズムにおいても他の追随を許さない大きな違いがあります。テーラーホブソンの表面粗さ測定機「フォームタリサーフ」には独自のボールマスター校正機能が備わっています。ボールマスター校正を謳う形状測定機は他にも多くありますが、テーラーホブソンのボールマスター校正は他社のそれとは異なります。他の多くの測定機が校正を行っているにも関わらず、測定前にR形状の定格値入力を必要とするのに対し、フォームタリサーフは校正を行った後はどんなR形状も定格値を入力する事無く測定が可能なのです。

測定機メーカへ

1998年テーラーホブソンのレンズ製造部門はCooke Opticsとして独立しています。独立後も2000年、プライムタイム・エミー賞、2013年に2度目のアカデミー賞を受賞するなど、映画産業での活躍は今も続いています。
一方テーラーホブソンは純粋な測定機メーカに転身し、タリサーフ、タリロンドのフラッグシップモデルの新製品をリリースし続ける一方、非接触測定技術にも力を入れ、白色干渉技術を使ったタリサーフCCIをリリースするなど、表面性状の三次元測定技術開発に取り組んでいます。 さらに「タリ」を冠したタリサーフやタリロンドなどの高精度機とは別に、生産現場で活躍する小型測定機、「サートロニックシリーズ」のリリース等、製品ラインナップの拡充を行っています。 2004年、テーラーホブソンは120を超える事業部と12000人の従業員を擁する複合企業体、アメテック社の傘下に入り、強固な事業基盤を得て、アメテック株式会社テーラーホブソン事業部となりました。先人の偉業を受け継ぎ、名門テーラーホブソンのブランドに恥じぬよう、更なる飛躍を目指しています。